ブログ
2026.06.16
アート工藝社、46年前の現場。
少し前、このブログで「46年間、止まらなかった時計の話。」という記事を書きました。
長い年月を経てもなお動き続けていた、アート工藝社の古い時計。
あの記事を書いたあと、社内の古い写真や資料を少し整理していたところ、もうひとつ、なんとも不思議な「時間の記録」が出てきました。
一枚の古い水彩画です。
題名は、たしか「働く人々」。
描かれていたのは、当時のアート工藝社の現場でした。
その絵を描いたのは、小学校6年生だった頃の私です。
今から46年前、「えひめこども美術展」で特選をいただいた作品でした。
工場の中で作業する職人たち。
材木の匂い、刷毛や塗料缶、工具の並ぶ空間。
子供ながらに、働く大人たちの姿がカッコ良く見えていたのを、今でもなんとなく覚えています。
実はこの絵の存在を思い出したとき、原画もスキャンデータも私の手元には残っていませんでした。
そこで松山市立中央図書館に足を運び、当時の愛媛新聞の原本を蔵書室から引っ張り出してもらって調べてみたところ、
1981年(昭和56年)元旦の特集紙面にカラー掲載された作品を見つけることができたのです。
そして今回、改めてその絵を見返して驚きました。
絵の中に描かれていた人たちのうち、なんと二人が、現在もアート工藝社で働いているのです。
(この中にアートで今も働くS家さんとK森さんの姿が。伏字の意味あまりないですね)
絵のカラーコピーを見せると、最初は二人とも「まさか」という表情でした。
しかし次第に、
「ああ、この機械、あの頃使っとったやつじゃな」
「この『安全第一』の垂れ幕、確かにあったあった」
「これ誰やろ。○○さんかな?そういえばあの頃は□□くんもおったよなあ・・・」
と、少しずつ当時の記憶が蘇ってきたようでした。
さらに驚いたのは、「人」だけではありません。
絵の中に描かれている「設備」のいくつかも、形を変えながら現在も使われていることがわかりました。
当然ながら修繕や改修は重ねています。
しかし、少年時代の私が絵に描いた工作機械が、令和の時代になった今も現場の一部として働いている。
それは、時計の記事とはまた違う、不思議な感慨を覚える出来事でした。
また、絵の中に描かれたうちのお一人から、
「この『安全第一』の垂れ幕、確かにあったあった」
という言葉を聞いた時、いま毎日の朝礼の締めでアートのメンバー全員が交わす、
「今日も一日、ご安全に」
この一言とリンクするようでした。
設備や働く人は変わっても、守り続けているものは、愚直にしてシンプルです。
もちろん当時は、そんな未来を想像して描いていたわけではありません。
ただ、自分の目の前にあった「大人たちが働く風景」を、一所懸命描いただけでした。
会社というものは、社屋という器のみで存続していくものではなく、
そこで働く人たちの技術や記憶によって、少しずつ受け継がれていくものなのかもしれません。
46年前の時計が時を刻み続けてきたように、
この絵の中に描かれた現場もまた、人とともに現在へ繋がっていました。
小学6年生だった頃の自分が描いた「働く人々」を見ながら、そんなことを考えた次第です。
長い年月を経てもなお動き続けていた、アート工藝社の古い時計。
あの記事を書いたあと、社内の古い写真や資料を少し整理していたところ、もうひとつ、なんとも不思議な「時間の記録」が出てきました。
一枚の古い水彩画です。
題名は、たしか「働く人々」。
描かれていたのは、当時のアート工藝社の現場でした。
その絵を描いたのは、小学校6年生だった頃の私です。
今から46年前、「えひめこども美術展」で特選をいただいた作品でした。
工場の中で作業する職人たち。
材木の匂い、刷毛や塗料缶、工具の並ぶ空間。
子供ながらに、働く大人たちの姿がカッコ良く見えていたのを、今でもなんとなく覚えています。
実はこの絵の存在を思い出したとき、原画もスキャンデータも私の手元には残っていませんでした。
そこで松山市立中央図書館に足を運び、当時の愛媛新聞の原本を蔵書室から引っ張り出してもらって調べてみたところ、
1981年(昭和56年)元旦の特集紙面にカラー掲載された作品を見つけることができたのです。
そして今回、改めてその絵を見返して驚きました。
絵の中に描かれていた人たちのうち、なんと二人が、現在もアート工藝社で働いているのです。

(この中にアートで今も働くS家さんとK森さんの姿が。伏字の意味あまりないですね)
絵のカラーコピーを見せると、最初は二人とも「まさか」という表情でした。
しかし次第に、
「ああ、この機械、あの頃使っとったやつじゃな」
「この『安全第一』の垂れ幕、確かにあったあった」
「これ誰やろ。○○さんかな?そういえばあの頃は□□くんもおったよなあ・・・」
と、少しずつ当時の記憶が蘇ってきたようでした。
さらに驚いたのは、「人」だけではありません。
絵の中に描かれている「設備」のいくつかも、形を変えながら現在も使われていることがわかりました。
当然ながら修繕や改修は重ねています。
しかし、少年時代の私が絵に描いた工作機械が、令和の時代になった今も現場の一部として働いている。
それは、時計の記事とはまた違う、不思議な感慨を覚える出来事でした。
また、絵の中に描かれたうちのお一人から、
「この『安全第一』の垂れ幕、確かにあったあった」
という言葉を聞いた時、いま毎日の朝礼の締めでアートのメンバー全員が交わす、
「今日も一日、ご安全に」
この一言とリンクするようでした。
設備や働く人は変わっても、守り続けているものは、愚直にしてシンプルです。
もちろん当時は、そんな未来を想像して描いていたわけではありません。
ただ、自分の目の前にあった「大人たちが働く風景」を、一所懸命描いただけでした。
会社というものは、社屋という器のみで存続していくものではなく、
そこで働く人たちの技術や記憶によって、少しずつ受け継がれていくものなのかもしれません。
46年前の時計が時を刻み続けてきたように、
この絵の中に描かれた現場もまた、人とともに現在へ繋がっていました。
小学6年生だった頃の自分が描いた「働く人々」を見ながら、そんなことを考えた次第です。